私が開院した理由

人生の転機

 

開院した理由

まだサラリーマンとして働いていた2002年、実家の父が強烈なギックリ腰になってしまいました。

それまで勤めていた人材派遣会社を辞め、
実家の花屋を手伝い始めて数ヶ月が経つ頃には、
そのまま継ぐことを考えていました。

 

出会いは突然に

 

平泉金色堂

友人とともに気仙沼で眠る恩師の墓参りへ行き、旅行がてら立ち寄った奥州平泉でとある鍼灸院を訪れました。

人生初の鍼灸だったにもかかわらず、不思議なくらい
怖くなかったのを覚えています。

そして神奈川に戻る道中、
ふと『自分が治療できれば親父を楽にできるかも?』と思い立ち、
次の日には近くの文教堂へ。

初めて見る「カイロプラクティック」の中のRMIT大学を
直感的に選択し、あっという間に入学まで決まりました。

 

ゼロからのスタート

 

RMIT

いよいよ始まったキャンパスライフ…という名の苦行(笑)

命の次に大切な車も売り払い、すべてを捨てて覚悟を決めました。

1年目はひたすら基礎医学の勉強、2年目以降はそれに実技・臨床も上乗せされ、爆発的に増えていく講義時間について行くだけでも必死でした。
ちなみにこれは医学部と同等のボリュームです。

そう考えると一緒に入学した約45名が、卒業時には15名ほどまで
減少していたのは仕方なかったのかも知れません。

 

目指すべき姿

 

セミナー

大学2年目の夏ごろ、治療家としての方向性に大きな影響を及ぼした「キャリック神経学」「アクティベータ・メソッド」に出会います。

これらは学外のセミナーなのですが、熟練の先生たちに治療という世界の深さを見せつけられ、「大学卒業=成功」なんて甘い考えは間違いであることに気付かされました。

 

本物の治療とは?

 

はじめて受けたアクティベータ治療は衝撃的でした。
バイク事故によって重苦しかった右足が軽くなり、勝手に姿勢まで
良くなっていたのです。

施術自体は「ホントにこんなので効くの?」というくらい少ない刺激で、
それまでの治療という概念が音を立てて崩れ去りました。

『お年寄りや妊婦さん、赤ちゃんまで治療ができる』という安全性と
信頼性、『一瞬で効果が現れる』という即効性に魅力を感じ、
「なんとしてでもこの技術を身に付けよう」と心に決めました。

 

現代医療への興味

 

東医療センター

2年目の終わりごろから金銭的に厳しい現実にさらされましたが、かと言って学業をおろそかにすることはできません。

ということで「空いている時間」である夜中を利用して、不眠不休で働き出します。

どうせなら現代医療の現場をこの目で見たいという思いが強く、東京女子医大の救急外来で夜間受付のバイトを始めました。

代替医療に偏りすぎた人々は、知りもしないで医療の現場を
バカにしたり見下したりする傾向があります。

確かに慢性的な痛みや症状に強いのは代替医療ですが、病院は
生死にかかわる状態を救うのが仕事。
根本的に得意分野が違うので、本当は比べられるものではないのです。

 

自分の健康に責任を持つ

 

医師が患者の人生を決めることはできません。

しかし多くの患者は医師に依存します。
困ったら病院に行けばいいや、と。
おそらくそれが「楽だから」でしょう。

急性の風邪や腹痛ならそれでも構いません。

しかし慢性的な症状の場合、それだけではダメなんです。
なぜなら先天的(=生まれつき)の病気以外は、ほとんどの場合
「本人自身とまわりの環境」に原因があるからです。

つまり、本人に「自分の力で立って新しい一歩を踏み出す」
という気持ちがなければ、いくら医療者が努力したところで結果は
ついてきません。

そういった人たちを見ているうちに
『患者が自ら人生を切りひらいていく』
そんな姿をしっかり支える力が必要なんだと気付きました。

 

さらなる進化を求めて

 

卒業

文字通り、死ぬ思いでたどり着いた、卒業の日。

とても感慨深いものはありましたが、治療家としてはここからがスタート。
仲間はそれぞれの道へ進んでいきました。

自分はすぐに開業することも可能でしたが、もっといろいろな角度で困っている人たちと関われる力を身に付けたいと思い、医療事務の夜勤を続けることにしました。

結果的に病院勤務は5年以上、その間に参加した勉強会は
1000時間にもおよびました。

 

始動

 

CTIバランス

自分の中で学びに区切りがつき、いよいよ腹を決めるときが来ました。
もちろん不安や恐怖はたくさんあります。

ところが開業を決意した途端、周囲を流れるエネルギーが確実に変わりました。

応援してくれる人や自分を必要としてくれる人など、さまざまな分野の方との数えきれないほどの出会いがあったのです。

妻の沙紀とはじめて会ったのもこの時期。
自分がもっとも苦手とする細かな作業と料理に長けた妻のおかげで、
夢がようやく現実のものとなりました。

 

私にできること

 

治療院

医師は命を救うために全力を尽くし、我々はその救われた命をどこまでも輝かせることが仕事であり役目だと考えています。

どこに行ったら治るのか分からず途方に暮れている人、
諦めてしまった人、探す気力もない人…。

そんな医療に迷える人たちが自分らしさを取り戻し、
安心して本当の自分に戻れる、そんな場所を作っていきたい。

これが今の自分を動かしている力です。

10年前の「親父を楽にしたい」という想い。
その小さな気持ちが育ち、ようやく花を咲かせようとしています。


院長 亀山真吾

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